仕事って、へこむこともある。

「世の中の仕事は、自分の仕事ではなく社会の仕事であり、社会の仕事を『させていただいている』という認識をもつほうがいい。『自分の仕事』だととらえるから、おごりになる」というような内容の言葉を聞いたことがある。

全くその通りだと思う。

仕事は誰かの役に立つからこそ成り立つし、
自分のエゴのためにするものじゃない。

でも、人間には感情があるから、
うまくいったときは嬉しいし、
うまくいかないときは凹んだり悲しくなったり。
だからこそ仕事をするって大変なのだ。

100パーセントうまくいくことは、ありえないから。

うまくいったときは「おかげさまでありがとう」
うまくいかなかったときは「ごめんなさい」

そういうシンプルなことなのだ。

だけど、自分にもプライドとかあるし
言い訳もしたくなる。
怒られて失望されると、悲しくて涙も流す。
信頼してくださったのに、成果が出せずにごめんなさい。
そして、凹んだり悔しくなったりして。

だけど、時間は取り返せないもの。
手を尽くしてダメだったら、あとは結果論なのだ。
なぜダメだったのか、
要因は?ありとあらゆることを洗い出して、

次は同じような結果に至らないように、
知恵を出しあって取り組むしかないのだ。

反省したら、あとはそれを生かして次に進むしか道はない。

だから。
自分の心が失敗に引っ張られないように。
一回へこんでも、いいよ。
でも、そのままへこみっぱなしになるとか、逃げてしまうとかは、やめよう。

「そんなときもあるよ。」
「大丈夫。」
「なんとかなるよ。」

そんな風にして、乗り越えよう。

音楽に感動する

YoutubeがあればアーティストのMVを見れるような時代。
こんなこと言うとアナログ人間だとつくづく感じるのですが、昔と比べると音楽の重みが随分減ったと思う。

私が小さい頃は、レンタルCDは縦長の小さいCDだった。CDをCDに移す機械がなかったから、CDをカセットに録音していた。カセットはA面とB面があって、途中で切り替わるから、その時に録音したものはぷつっと切れてしまう。ぷつっと切れてしまったら、B面になってからもう一度歌の最初から録音しなおしたりしたものだ。
録音に時間かかる分、順番も含め大切に録音して、タイトルをサインペンの細い方で書いて大切に聴いていた。車に乗って出掛けるときは、お気に入りのカセットを再生して、みんなで歌ったりしていた。

今は、CDを借りに行くこともそんなにしなくなった。音楽をフルでしかもそれなりに綺麗な音質で聴けてしまう。さらに、MVまでみれてしまう。
好きなときに無料で好きな音楽を聴けて、すぐに飛ばせたり別の音楽に移ったりできる。

そりゃあ、前奏も短くなるよね。
長かったら飽きられて次の歌に飛んでしまうから。

私は80、90年代の歌が好きだ。
音楽一つが、感動を生むってすごいこと。
情景が、景色が、想いが、哀しみが、愛情が、
メロディと共に溢れている歌。
言葉が、創造力と想像力に富んだ歌。

そんな歌が聴きたい。
音楽は本当は人が命こめて作ってる。
聴き手が軽く扱っていると、創られる音楽がどんどん軽いものになってしまう気がする。

音楽を聴いて感動する、涙が出る、懐かしむ。
思い出を彩るから、これからも心が動く音楽を聴いていたい。

街の雰囲気

外回りの仕事なので、
街の雰囲気を日々感じています。

先程、「ちょっとこの辺りでは治安がよろしいとは言えないよね。」とされる場所に仕事で行ってきたんですけど、

センサー発動して疲れました。

歩道にはタバコの吸い殻だらけですし、
体にデザインのある方も路上に座っていらしたし、
自転車に乗っていらっしゃる方の、世の中を斜めの方向に見ている表情だとか。

もちろん、こちらの一方的な見方でこのような書き方をするのは大変恐縮ではあるんですけど、
でもなんだかいつも住んでいる場所とは、
一言で言うと、「ちがった」

そうですね。
なんだか、その雰囲気のなかに飲まれないように気を張ってちょっと疲れました。

でもきちんと回りたいところには回れたので
満足して、今会社へ戻っております。
それでいいんだよね。

住むところは、お気に入りの場所である必要があるけどね。

私が苦手な刺激→たばこの煙

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私は生まれてからずっと家族に喫煙者がいたことがなく、
付き合う彼氏も喫煙者はいたことがなく、
旦那も喫煙者ではない。
親友にも喫煙者はいない。

だからということもあるのだろうが、
たばこの煙に耐えられない。
たばこの臭いが少しでもすると、その場から逃げたくなる。

もちろん今は、昔と違って分煙化はかなり進んでいると思う。私が小さい頃は、特急電車に喫煙車両があったり、飲食店には灰皿があるのが普通だった。
その頃と比べると、だいぶたばこから遠ざかることはできていると思う。

しかし、まだたばこの煙が入ってくることがある。
このご時世なのに、なぜだろうか。
それは、マナーを破る人がいるからである。

喫煙してもよい場所で煙が入ってくることはなんら問題ない。自分がその場から逃げればよいだけの話。

なぜだろうか。
禁煙スペースである場所なのに、なぜかたばこの煙が入ってくる時間がある。

誰かに許可をもらっているのか。
もし許可しているなら、どんな理由があるだろう。
的を射た理由ではないことはたしかだ。

そもそも、マナーを破っているという意識はあるのだろうか。

最近は煙がくると、おもむろに咳をしマスクをする。
周りの人たちにもちらっと話してみた。
しかし全く問題視していない。

ブログに書けば書くほど、自分がどれだけ迷惑に感じているか、どれだけ憎んでいるかが分かった。
よし。
行動を起こします。

今は泣き寝入りをする時代ではない。
正々堂々と行動したいと思う。
でないと、こんなマナー違反の場所に誰が集まる?

✳愚痴っぽくなりすみません✳
書くととてもスッキリしました。少し攻撃的な文章になっているかもしれません。元々「おかしい!」と思ったことには正面から向き合う性格でして。
よんでいただいた方、ありがとうございます。



「HSP」を「甘え」にはしない

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「自分っておかしいかも」

そういう思いをずっと抱えてきた私は、
HSPの診断テストにあまりにも当てはまり、
「私だけ変じゃなかったんだ」
ほっとしました。涙しました。

同じような方々がいらっしゃることを知ると、
心強いですよね!
私はHSPを知ってから、このような流れを歩みました。

①悩み続けている自分...
HSPという言葉を知る
HSPについて調べ、自分に心当たりあることが沢山あることに気づく
HSPの枠に自分をおさめ、安心する
HSPだから仕方ないと開き直ることが増える←

私はここまで来ました。
そこで気付いたんです。
最近、旦那に「HSPだから」っていう言葉を理由付けにすることが増えたような気がします。

それって、いいことなのでしょうか。

もちろん、自分が気質として苦手とすることが明確になり、「他人に合わせて同じようにしないといけない」などの無理をしなくなったことは一番自分にプラスになったと思います。
したがって、理由付けはよくないことではありません。自分を守るために必要なことです。

しかし、それが「言い訳」にならないように自分自身振り返ることは必要かと思います。

なぜなら、HSPだからっていう理由で
例えば「苦手なことをしない」とか、
「誰かに代わりになってもらう」とか、
自分がしたくないことをしないことは単なるワガママになり得るからです。

便利な言葉に使わないようにしたいものです。
そのように使うと、それを聞いた方は
「またHSPを理由にしてる」
「それって言い訳じゃない?」
このようになるからです。

それにもっと傷付くのは、
自分自身が「HSPに甘んじてしまった」
ということが分かったタイミングで、自分を責めてしまうのだと思います。

元々誠実で自分を責めやすい傾向にあるHSPは、
きっと便利な言葉に使うようなことはされないと思います。
しかし、それが、甘えやすい相手にきちんと伝えた上で相手にも理解してもらえた場合に、
時として甘えすぎてしまうこともなきにしもあらずです。

HSPを便利な言葉とせず、大切に扱いたいものです。
今日は、自分への戒めとして書きました。





【HSP】自己境界線が低い自分が持つべき意識とは

自己境界線が低いといわれるHSP
私もその自覚はあります。
小さい頃から、他人といっしょにいるときに、
相手を優先させることが多かったです。

自分に合わせてもらうことで相手に無理させるのが嫌だなぁという気持ちであり、
相手に嫌われたくないという自己防衛の気持ちでもあるのでしょう。

でもいつも思っていました。
一緒にいるときに、自分のしたいこと、食べたいもの、行きたいところ、したくないこと、嫌だということ...主張できる人って羨ましくて、なぜ私はそれができないんだろうと。

その答えがHSPでした(笑)

いろんなHSPの本などを読んで気づいたことや納得したことがあります。
それは、上記のようなときに、無理矢理激しい自己主張や感情をあらわにすることは得策ではないということです。

きっと、自分の感情をぶつけたら後々になって
「あぁ、あんなこと言わなければよかった」
「この間あんな態度をしたから、なんか相手の態度変わった気がする...気のせい?」
など、「自分らしくないことをしてしまった感」で心がいっぱいいっぱいになってしまいます(笑)
そうなってしまうのがHSPなのでしょう。

だから、自己境界線が低い自分がより楽に生きやすくなるための自分なりの得策は、
【ほわんとしたあたたかいバリアを自分の周りにつくること】です。

あたたかいバリアなので、
「相手を寄せ付けないもの」や「孤独になるため」のバリアではありません。
自分らしい人生を守るためのバリアです。

「相手の言いなりになってしまう」
「本心はNOなのに、NOと言えないからYESと言ってしまう」
「自分のしたい方向を見失ってしまう」
そんなことから自分を守るためのバリアです。
HSPにとって、日々いろんな人達と過ごしていくなかでこの意識を持てていると、すごく楽になることでしょう。

HSPを知って、
自分が傷つきやすいことは分かった。
他人に振り回されやすいことは分かった。

×【じゃあ、傷つかないように他人を拒絶しよう】
◎【じゃあ、他人に振り回されずに自分らしく他人といいコミュニケーションができる方法を身に付けよう】

行動は意識から変わります。
HSPを知ったことでいい方向に変わっていけますように☆

心地よさを味わう

「なんとなく心地いい」
と感じる瞬間があります。
小さい頃から、いいなって思う瞬間って
大人になった今でもなんとなく心地いいんです。

そんなことありませんか?

私がいいなって思う時は、
・落ち着きのあるカフェで美味しいコーヒーを味わいふーっとしたとき
・夏の夕方の空気のにおいを感じたとき
・休日の昼下がり、自宅で明るい話題のテレビ番組を観るとき
・秋になりたてのそとのにおい

小さい頃からワクワクする瞬間。
自分の可能性が広がる感覚になるんです。

私って物静か。
一人の時間が大切。
刺激がなくても満ち足りてしまう。

こんな自分です。
そして、こういう心地よい時間を自分で分かると、
なんだか楽しいですよ♪

今回は特にHSPについて書こうと思ったのではなく、
思い付くままに書きました。
自分にとっての「心地よいじかん」書き出してみませんか。